「ヌーハラ」よりも日本人が直した方がいいこと

 

 

今更感がありますが、昨年話題になった「ヌーハラ」つまりヌードル・ハラスメントという問題を考えてみたいと思います。
ラーメンやソバを食べる際に、日本人は麵をすすりますがその音が外国人にとって(日本人にも)不快であるというのが「ヌーハラ」という語の意味するところのようです。

私は麺類、特にラーメンが大好きなのでこの問題については他人ごとではありません。
この記事にちょくちょく挟むラーメンの写真は全部、私が日本にいた時に撮ったものです。
(ちなみに上の写真は私が一番好きだった門前仲町のラーメン屋「こうかいぼう」さんのチャーシュー麺です。)

 

 

不快感を与えるのはすすり方次第?

(写真はベジポタ系でトップの人気と味を誇る、銀座の篝(カガリ)の鳥白湯にローストビーフトッピングという組み合わせです)

 

ヌーハラを考えるに日本文化と歴史を考える必要がありという人がいます。
ある人たちはこれは日本の伝統的な食べ方で、すすることで風味豊かに食べることができると言っています。
私も特にこの意見に異議はありません。
実際、ラーメンやソバはすすらないとしたら、モソモソと箸で手繰りながらと食べないといけないわけで、それもまたみっともない感じがします。

それで私はヌーハラの論争点は、麺をすすっていいのかどうかと白黒つけるよりも、すすり方・食べ方・音量・全体的な見え方の問題なのではないかと思います。
不必要に大きな音ですすったり、汁をまき散らしたり、猫背で丼から犬食いのように見えたり、逆に麺を箸で持ち上げすぎてすごい長さをすすったりなど、色々と見栄えの悪い食べ方はあると思います。
(じゃあどうやって食えばいいんだ!!と自分で書いて思ってしまいますが)

小気味よくズッズッと最小限の音ですすって食べれば、そこまで不快感を与えずに済むんじゃないでしょうか。
そもそもラーメンやソバなんて、それしか提供しない専門店で食べる(もしくは家で食べるもの)なので、小さな音でもすする音が嫌だという人はラーメン屋や蕎麦屋に行かなければいいだけのことでしょう。
ただ、逆に専門店だからといって不必要にすすり音をまき散らしながら食べる必要はないでしょう。
なぜなら、マナーとか作法とかの問題ではなく、単純に「みっともない」からです。

 

それで、私のヌーハラに対する結論は「すすって食べるのが文化だが、あまり不快感を与えないようなすすり方で食べるべき」と思います。
また、ラーメン屋や蕎麦屋でもないような場所では、ある程度は気を付けて静かに食べるべきとも思います。

完全に麺をすするのをやめろ!という人がいるとすれば、それは横暴ですよね。
逆に日本式の食べ方の方が優れている面もあって、例えば日本ではお椀を持ち上げて食べることができるので犬食いのような姿勢になりませんし、金属のフォークやナイフでお皿とガチャガチャ音を立てることもなく静かに食事できるのです。
こういうのは伝統と文化の違いですから、それぞれの国の食べ方を尊重するのも「マナー」ですよね。

 

 

ヌーハラだけじゃない音のハラスメント

(写真は埼玉県のラーメン屋のトップで、すし屋と併設という変わり種の中華そば四つ葉の蛤そば。これはもう和食の域です。)

 

しかし、日本においてはヌーハラ以外にも「音を立てる」ことによって他人を不快にさせる行動が見られます。
例えば日本では「鼻をすする」人も非常に多いですが、他の多くの国でマナー違反です。
口を開けたまま食事をとる、いわゆる「クチャラー」という人たちも結構多くいます。

これらは日本文化とか関係なく、多くの文化的背景の人を生理的に嫌な気持ちにさせる行動です。
そして、なぜか日本では容認されがちな事柄です。

(先に言っておきたいのですが、私は日本が大好きです。海外に住んでいるからと言って、グローバリズムをこじらせて日本を馬鹿にしているわけではありません。むしろ、海外にいればいるほど日本の良い点を思い出します。)

 

ではなぜ日本ではこういうことが多く見られてしまうのでしょうか?
マナーやモラルの意識が低いということではないですよね。
マナーもしくはモラルという面で見れば、日本は大概の国よりも勝っています。
例えば、夜中に大声を出して道を歩いたりしないですし、歩道ではみんな右側通行をして通路を塞がないようにします。
ごみを道に捨てたりせず、財布が道に落ちていれば交番に届けます。

ですから、上にあげた音のハラスメントがまかり通っているのは、マナーやモラルとはちょっと違う次元の理由なんじゃないかなと思えます。

 

 

日本人はあまり「自分をよく見せよう」としない?

(写真は西大宮の麺屋 扇 SENの塩ワンタンメン+チャーシュー3枚トッピングです。この赤っぽいチャーシューが美味いんですよね)

 

私はこの種々の音のハラスメントの原因を、「自分をよく見せようとすること」にあまり頓着しないことに起因すると考えました。
一般論として言いたいのですが、日本では格好つけたり、お洒落をしたりすることをあまり良くないことのようにとらえる人がいます。
多くの国では見た目だけ整えておけばいいみたいな傾向がある中で、日本では外面よりも内面という建前が重要視され、自分をよく見せようとする努力を軽視する傾向があるように思います。
着飾ったり、化粧をしっかりしている人を見ると、どこか冷やかしたような目で見る人が多いように感じます。

私が通っていた中学校は制服が学ランでした。
生徒手帳に記載された服装規定では整髪料の使用は禁止、女子の髪を留めるゴムの色は指定された黒と茶のような色のみ可、靴下の色は白のみなど、正直わけの分からない規定が山盛りでした。
要は、お洒落をするなということでしょう。
でも整髪料が禁止であるということは最低限の身だしなみも許されないということではないでしょうか?
ちゃんとした服装を教えるのであれば、むしろ整髪料で頭をきっちりと整えるように指導すべきところを、ナチュラルな何もつけない頭以外は認めていなかった私の中学校の校則は理解に苦しみます。
髪の毛がぼさぼさの伸び放題であろうと、整髪料を付けていなければOKなのです。
つまり、「見た目を整える」ことの重要性を軽視していたのです。

他の学校がどうだったかは分かりませんが、東京の街なかを歩いていると、整髪料もつけず中途半端な長さの髪をなびかせて歩いているサラリーマンをよく見かけるので、自分の見た目に無頓着な人が多いんだなと感じます。
整髪料も使わずに外出する人がいる国なんて、先進国では日本以外にはありえないんじゃないでしょうか。

 

他にも例えば日本では猫背の人、口をあけっぱなしで歩いている人なども多いですね。
正直な話、他の国より確実に多いと思います。
これも自分がどう見られるかに無頓着なことの表れと思います。

 

他にもいろいろあるのですが、言いたいのは見た目を整えることや立ち振る舞いをスマートにするべきということです。
人からカッコよく、美しく見られたいという意識がもっと高くして立ち振る舞いを改善していけば、人を不快にさせる音のハラスメントも含め見た目の悪い習慣は諸々無くなっていくはずです。

 

 

 

もう少し格好つけよう

(写真は大宮の鉄道博物館駅近くの「狼煙」のつけ麺。いつもすんごい行列ができている)

 

ということで、私個人としても、もう少し格好つけていきたいと思います。
とりあえず、家に大きな鏡を設置しました。
鏡ばかり見ている人はナルシストだと言われがちですが、身だしなみや姿勢、立ち振る舞いをチェックして改善するのは悪いことではありません。
むしろ、度々鏡を見て見た目をチェックすることこそがマナーとなるべきです。
鏡で時々チェックしながら姿勢や体型を改善したいと思います。

 

個人的に直していきたい日本的習慣は他にもあります。
例えば、話す時にはぼそぼそと話したり、自信なさげに話すことがないようにしたいと思います。
はっきりと堂々とした口調で、相手をまっすぐ見て話すようにしたいですね。

あと、ヒョロヒョロな日本人男性は海外では頼りなく思われ、格好の犯罪の対象になってしまうので、ある程度の筋肉も身に着けておきたいものです。

こういう、文化や伝統とは関係ない部分では他の国の良いところを取り入れて改善していく気持ちが大事ですね!

 

 

 

 

脱サラしペルーに移住。
仕事と趣味にのんびりと生きる。

投稿者: Jorge

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