iTunes Storeでチャップリンの映画が購入可能になったため、早速代表作である「街の灯」を購入してみました。
あらすじは上の画像から読んでください。
私としては、観た映画を忘れないように感想だけ書いていきます。
名作に多くの要素は必要ない
映画が始まるとキャストの紹介が出てきますが、たった6人だけで、実際のところメインの登場人物は3人だけという非常に分かりやすい登場人物の構成ですね。
チャップリン映画では、各登場人物ごとに込み入った設定などを加えたりせず、メインの人物のみをじっくり描きます。
それどころか、各登場人物に名前すらありません。
劇中に何人かの人物の名前が呼ばれるシーンがありますが、観ている側は主人公やその他の人物の名前を意識することなく終わりまで映画を見てしまいます。
実際、ちょっと前に観た映画の主人公の名前なんて憶えてなかったりしますよね?
登場人物の名前なんて、不必要なんでしょう。
ちなみに上の画像の一番下の「A TRAMP」というのがチャップリンです。
Trampという語は「パタパタ歩く」という意味で、転じて「浮浪者」を指します。
大統領候補のドナルド・トランプ氏はTrumpと綴るので別の語で、「素晴らしい人物」を指す語です。
チャップリンは自分の役名にこのTramp浮浪者という語を好んで用いていました。
チャップリン映画には多くの台詞もなく、色もなく、登場人物の名前すらなく、今の映画のようなCGや特殊効果もなく、それでも現代なお感動を与える作品が作れるのだから、すごいの一言ですね。
切ないシーンの数々
ユーモアとペーソスでおなじみのチャップリン映画にはドタバタの笑えるシーンが数々あるとともに、しんみり泣けるシーンもたくさんありますね。
子どものときに街の灯を見たときには笑った覚えしかありませんが、大人になって改めてみると切ないシーンが沢山です。
1.ボクシングのシーン
盲目の娘の家賃を稼ぐため、体を張ってボクシングに挑むシーンは、レフェリーやゴングを巧みに使った戦術で大爆笑です。
ですが、健闘むなしく最後は失神KO負けしてしまうという結末が分かっているため、健気に戦うチャーリーが非常に切なく見えますね。
2.治療費を渡して去るシーン
家賃と目の治療費として1000ドルを私、ちょっとだけいなくなると言って去るチャーリー。
逮捕されることが分かっているという、男の覚悟を感じます。
3.目が見えるようになった娘との再開シーン
一番有名で、感動的なシーンですね。
目が見えるようになった娘は汚い浮浪者が自分を助けてくれた「富豪」だとは分からなかったものの、手に触れることで彼がその人だと気付きます。
「あなただったのね」と言葉少なに終わるシーンは、その後ふたりがどうなったかの想像を観客の想像に委ねているかのように映画の終わりとなります。
ここで気付いてもらって、今前のチャーリーの頑張りがすべて報われて、観ているこちらも救われた気持ちになりますね。
結末が違う方がいい??
さて、ここからは私の個人的な意見で、映画をけなすつもりも毛頭ないのですが、やっぱりチャップリン映画らしくバッドエンドが欲しかったです。
最後のシーンでチャーリーは何か言いたげに娘を見つめ、結果として自分が恩人であると気づいてもらうわけですが、ここがちょっとチャップリン映画らしくないかなと感じました。
例えば、こんな終わり方だとどうでしょうか?
娘に触れられ気付かれる(気付かれかける)ものの、「人違いじゃないですか」といってチャーリーが身を引き去っていく。そのまま娘は花を注文しに来た富豪と結ばれる
これくらいだと、まったく気づかれないような救いの無さはないものの、チャーリーの人の好さが出て、しかも後味が悪すぎないバッドエンドで良かったんじゃないかな。
別のチャップリン映画「サーカス」のエンドのような完全な道化役が、彼には似合うと思うのです。